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和解と相互理解のために3つのプロジェクトが進行中

戦争で敵対した兵士同士、そしてお互いの国を理解しようとする一般市民、70年近く前の戦争の歴史を通して友好関係を結び、当事国同士の平和を維持してゆきます。

Project A: イングランドの古都ヨークと山形県庄内町に友好の架け橋を

1944年のインパール作戦の一環で起きたコヒマの戦い。コヒマはインド北東部、ミャンマー(旧ビルマ)との国境地帯にあるナガランド州の中心地、山々に囲まれた当時は未開地であった村でしたが、大英帝国の避暑地として軍の駐屯時でもありましt。 インパール作戦の最後にこのコヒマ周辺に於いて各所が激戦地となり、白兵戦で双方に甚大な数の死傷者と村々にも被害を及ぼしました。

コヒマで戦った英軍第二旅団の駐屯地は現在ヨークにあります。例年4月にコヒマの戦い戦勝記念として、ヨーク大聖堂で戦没者慰霊祭が開かれています。今年の慰霊祭にはエリザベス女王の次男、アンドリュー王子も参列し大聖堂の外庭にあるコヒマ戦争記念碑に献花しました。 従軍兵の所持品を多数展示したコヒマ戦争博物館もあります。

山形県東田川郡庄内町は、コヒマに向けて進軍した第31師団長、佐藤幸徳中将ゆかりの地です。佐藤中将のお墓がある乗慶寺には生存兵士による碑が建てられています。

第31師団はコヒマを制圧しながらも後方からの補給を絶たれて、弾薬、食料不足に苦しみました。佐藤師団長はコヒマにとどまれという命令に反し独断で退却します。ビルマ作戦協会の祖と言える平久保正男氏は、この第31師団で主計担当中尉でした。

本年8月、庄内町において「英国と日本国際理解の会」が発足し、16名あまりの代表団のメンバーが11月にヨークを訪れます。

アクション・プラン

  • コヒマ戦争博物館とインパール作戦関係の資料及び佐藤中将の軍服や日記を保管する庄内町立図書館をリンク。地域の小中学校、大学生に戦争の歴史教育として役立ててもらいます。
  • 大学などの教育機関での連携。留学生の交換や、ビルマ作戦を観点にした第2次世界大戦研究・分析など特別講座の実施。
  • 日英関係をより強固にするため文化面、ビジネス面での交流。
  • 日英が和解のお手本となり、世界の恒久平和を築いてゆく。

Project B: インパール作戦終了70周年 インドでの戦没者慰霊祭に参加

インドの「インパール作戦財団」が、2014年70周年を迎えるインパール作戦の記念行事を3月から6月にかけて主催しています。

ミャンマーに国境を接するマニプル州の州都インパールは、第2次世界大戦中、ビルマを追われた連合軍の反抗拠点でした。これを攻略してインド侵入をめざした日本軍のインパール作戦により、この地域では激しい戦闘が続きました。この地域は日本兵が飢餓や病死、そして銃弾を受け傷を負った兵隊がそのまな帰らない人となった有名な”白骨街道“と呼ばれる場所でもあります。

インパール、サングシャク、カングラトンビ、そしてコヒマなど戦場となった場所で関係各国の合同慰霊祭が開かれる予定です。インパール作戦では6万人以上の死傷者が出ましたが、全員の遺骨収集は完了していない状態です。原住民の親切と多大なる厚意により、村民の寄付によってサンジャックの激戦地では日本兵の英霊の為に土地が提供され、慰霊塔が建てられました。

英国からも関係者が多数参加の予定です。ビルマ作戦協会ではマクドナルド昭子会長及びクリストファー・ジョンソンが来年4月の慰霊祭に参列の予定です。

アクション・プラン

  • マニープル州の戦場となった場所を訪れ、戦没者慰霊祭に参加する。
  • マニープルの人々との交流。戦争体験者に話を聞く。

Project C: 平久保史料の構築

平久保正男氏が遺した膨大な資料は、書簡、作戦地図、アルバム、書籍、パンフレットと多岐に渡ります。その史料的価値が高く評価されて、詳細な目録作りが龍谷大学の松居竜五教授と英国バース大学の村上享子博士の指導により数名のヴォランティアーが参加、資料のデータ化が二年越しで完成されました。それによりデーターの詳細を元に整理を継続する予定です。 その後順次このサイトにアップし、研究者の閲覧用途、展示会開催などで活用してゆく予定になります。

KOHIMA EPITAPH
“When you go home”
When you go home
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