8/15から2週間上映!日本初公開「兵隊だったおじいちゃんへ」
平久保氏のドキュメンタリー短編も同時上映されます。
7年の歳月をかけて制作されたドキュメンタリーで、これまで日本ではあまり知られることのなかった戦争の悲劇が描かれています。
ビルマ・ニュース
掘り起こす激戦の記憶、日本軍インパール作戦から70年
朝日新聞デジタル
2014/7/22
1944年のインパール作戦から今年で70年。戦地となったインド北東部インパールでは、地元の方々が激戦地を調査し、記憶と記録を維持しようとしています。
広島の平和を祈る絵画
ヒュエイエンニュース
2013/8/4
マニプールに拠点を置く日印友好協会が主催する広島の平和を願う絵画のコンテストが行われ、インパールのラムラルポール高校の生徒が作品を創作しました。
インタビュー ローキチャンド・シンさん「私の日本人の姪」
カングラニュース
2013/5/15
マニプールの映画監督が戦争ドキュメンタリー映画の作成の始めました。主点はマニプールの方々の日本人に対する心理的な結びつきです。
マニプールの映画監督が日本兵の知られざる過去を語ります。
インド Times Of India
2013/9/10
マニプールの映画監督が今まで語られることのなかった第二次世界大戦中のインドにおける日本兵について話しています。映画自体もマニプールで最も高価な予算のものとなっています。
BCSニュース
平久保正男
墓標(Find a grave) 2010年1月9日
社会活動家、フィランソロピスト。第2次世界大戦時にビルマで従軍した平久保氏の後半生は、かつて敵として戦った英国兵との和解に捧げられる。その活動の功績が認められて天皇から叙勲。戦争体験からカトリック教徒になる。終戦後日本に帰り着くも、空爆で焦土化した故郷、横浜を目の当たりにする。戦後、丸紅に再雇用され東京で働き、駐在員として英国に赴任。そこから元英兵に向けての和解活動が始まり、その死に至るまで続けられた。
折田大使が王立陸軍士官学校での慰霊式典に出席
在英日本大使館 2004年5月18日
5月17日、第2次世界大戦のビルマ戦線戦没者を慰霊する式典が、ビルマ作戦協会によりサンドハースト王立陸軍士官学校で開かれた。今回は特にインド師団の功労をたたえて執り行われた。日英両国の和解のあかしとして、平久保正男氏(ビルマ作戦協会会長)とパトリック・エマーソン中佐(インド軍人協会名誉会長)の両者の手により花輪が捧げられた。
戦争から帰ったら、父は私と解らなかった
BBCニュース 2004年8月13日
平久保正男が日本の全面降伏という知らせを受けた時、ビルマで従軍中の若い中尉だった。現在84歳、英国在住。その和解活動の功績が認められて、大英帝国勲章を授与される。
和解に努めた元日本兵、その死を惜しむ声が続々届く
ジャパン・タイムス 2008年5月6日
ロンドン発-かつて敵として戦った英国の地に住み、和解を呼びかけ、双方の歩み寄りのいしずえを作った元日本兵に追悼と賛辞の声が集まっている。3月に88歳で亡くなった平久保正男は、和解を模索する日英両国の元従軍兵たちから“くさび”と呼ばれていた。
戦いあった者だからこそ一緒にできる、最後の重要な任務
チェインジ・マガジン 1998年4月1日
5月に英国を国賓として訪れる明仁天皇を歓迎する退役軍人のグループがあった。「この訪英を機に過去の亡霊を葬り去り、新しい時代の幕開けにしたい。」ビルマ作戦有志の会会長、ジョン・ナンリィが語る。
日英合同慰霊祭を北インドで開催
在英日本大使館 2004年4月14日
3月10日と11日の両日にかけて、日英の第二次世界大戦退役軍人による合同慰霊祭がインドのコヒマ、インパールの地で開かれた。日本グループは平久保正男(ビルマ作戦協会会)を先頭に、英国はレオナルド・ハロップが代表を務めた。式典は第二次世界大戦のインパール作戦60周年を記念するもので、インド軍を代表して、第2アッサム・ライフル連隊からベンズ・ジャコブ隊長も出席。コヒマでの式典では、1400人以上もの地元住民が大聖堂に集まり、平和のために祈りを捧げた。この大聖堂は、かつての従軍兵たちによる寄付で建てられたものだ。
日英がひとつになっての式典
コヴェントリー・テレグラフ紙 2001年8月20日
日英の友好関係をより強固にし、新しい展望を開く和解の式典が、コヴェントリー大聖堂で昨日開かれた。各国関係者約70名を集めて、アンドリュー・ホワイト司祭により旧大聖堂遺跡で執り行われたが、素晴らしい晴天がやがて雨となり、場所を屋内のユニティ・チャペルに移して続けられた。
和解の場を広げて平和を呼び込む
在英日本大使館 2005年8月25日
例年にならい今夏も和解活動を促進する行事が3つ催された。7月20日大使館では第9回「平和と友好の集い」を主催し、和解活動を続ける人たちでにぎわった。参加者の多くは日本政府が1995年に始めた「平和友好交流イニシアティブ」に触発されて、和解プロジェクトを立ち上げた人たちである。
佐藤中将と私をつなぐもの
コヒマ戦争博物館 2012年2月13日
私が佐藤光徳中将に興味を持ったのは、私の父が佐藤中将率いる第31師団の中尉だったからです。ビルマ作戦協会の前会長平久保氏も同じく第31師団の中尉でした。私はビルマ作戦協会の現会長ですが、父も平久保氏も、生きて日本に帰って来られたのは佐藤中将の決断に負う所が大きいと思っています。
第2次世界大戦で亡くなった戦友を共に慰霊する
テレグラフ紙 2004年5月18日
日英の退役軍人がコヒマ・インパール戦60周年を記念して追悼式に集まった。折田正樹日本大使もサンドハースト王立陸軍士官学校の式典に参加。かつての敵同士がひとつになって、戦闘で倒れた戦友たちの冥福を祈った。